大久保賢一@畿央大学のブログです。特別支援教育、応用行動分析学(ABA)、日々のつぶやき等。
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先日、私が担当している「特別支援教育概論」という授業で、授業の導入として、受講生に作文を書いてもらいました。

テーマは、「障害、あるいは障害者をテーマにして自由に記述してください」というもの。
この日の受講生は61名で、1年生が37名、2年生が14名、3年生が7名、4年生が3名でした。

作文の内容は以下の通り。

(含まれていた主な記述内容の数を表に記載。一人の作文の中における複数カウント有り)

1年生の受講生が多いことから、ほぼ「ハイティーンのベースライン」と考えてもいいのではないかなあと思っております。


偏見について 25
自分が子どもの時に「障害者」に関わったエピソード 22
生活する上で不自由 12
助けが必要 6
「障害」は身近にあるもの(家族の話なども含めて) 5
世間で理解されていない 4
テレビ見たり、本で読んだりして興味を持ったり知識を得た 3
「障害者」は人として大切なことを知っている、教えてくれる 2
学生時代に総合学習などで「障害者体験」をした 2
「障害」は「個性」である 2
「障害」は「個性」などではない 2
自分とは無関係だと思っていた 2
普通とは違う 2
福祉における身体障害・知的障害・精神障害について述べる 1
もっと知りたい、学びたい 1
将来教師になったときの不安 1
支援されずに苦しんでいた「障害者」のエピソード 1
インクルーシブ教育に反対 1
「障害」のある子どもも、そうでない子どもも一緒に過ごすべき 1

全体的な傾向としては、障害のある方に関わった実体験について触れつつ、「偏見」をテーマにした作文が多いということ。
特に、自分自身の「偏見」を見つめ直すような文章が多かったように思います。

少数ながら「障害は個性だ」VS「障害は個性などではない」や「インクルーシブ教育に賛成」VS「インクルーシブ教育に反対」などという対立する意見があることなども、興味深いです。
うまく議論に持ち込めば、かなり「障害」に関する本質的な議論に迫れるのではないかと期待できます。

あと、全体的な印象としては、生活困難や不適応としての「障害」、制度で定義されている「障害」、医学的に診断される「障害」を混同している様子が見受けられました。

例えばですが、教育における「肢体不自由」と福祉における「身体障害」をきちんと区別して理解できている者は皆無でした。


そこで、今後の授業の中で以下のことを整理して伝える必要性を感じました。


1.生活困難や不適応としての「障害」:ICIDHやICFのコンセプト
2.制度上定義されている「障害」:教育と福祉の制度・法律
3.医学的に診断される「障害」:DSMとICD

確かに初学者にはわかりにくい部分ですよね。

「アスペルガーの診断を受けていて、精神障害の手帳を持っているけど、ICFの観点からは環境面の支援があり適応がよいので『障害』という状態ではない」
「医学的診断はなくて福祉サービスも受けていないけど、不登校が長期化し、病弱の特別支援学校に通っている」


・・・なんていう事例の話を聞いたら、確かに「『障害』って一体何なの?」と訳がわからんようになると思います

恐らくポイントは「『障害』とは特別なものではなく、誰にでも起こりえる『状態』である」、「『障害』は特性の1つに過ぎない」なんて言っておきながら、制度上においては「障害者」と「障害者ではない者」の間に明確な線が引かれているという「矛盾」について、いかに理解してもらうかだと思います。

彼らが大学での学びを深めていくとともに、このような「障害観」がどう変遷していくのか・・・

これって、面白い研究テーマになるような気が・・・




【2011/04/25 22:50】 | 大学教育
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