大久保賢一@畿央大学のブログです。特別支援教育、応用行動分析学(ABA)、日々のつぶやき等。
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東北から北海道へ戻り、もう1週間が経つのですが、溜まっていた仕事に忙殺され、今頃になり疲れが出てきました

はやく被災地支援の報告書をまとめなくてしまわないといけないのですが、その前に自分が現地で見たこと、聞いたこと、考えたことを整理しておく必要性を感じています。

その第1弾として、現地の「発達障害のある子どもたちの様子」についてまとめたいと思います。


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↑誰かが飾った鯉のぼりがとても印象的な光景でした



子どもたちの様子について、ざっとまとめると主に以下の4点をあげることができます。

①避難所で継続的に生活できた事例はほぼ皆無であった。多くは自宅に戻ったり、車中泊をしたり、親戚宅を頼るなどしていた

②災害直後は、周囲の予想を上回り、落ち着いている子どもが多かった

③震災前には見られなかった反応を示す子どももいた
→自傷を行ったり「ごめんなさい。もうしません」を連呼するなど
→トイレに行けなくなった


④知的障害のないタイプの発達障害児者に関する状況は、行政レベルではほとんど把握されていなかった


まず、①についてですが、一部マスコミでも報道されていた通り、避難所で地域の方々と共同生活を送るということは、かなり難しいことのようでした。
子どもが騒いでしまうということ(避難所が体育館だったりすれば、子どもは「目一杯遊ぶところ」だと思ってしまう場合があるようです)、避難所における持ち回りの役割を保護者が果たせなくなってしまうことなどが理由としてあげられていました。

②の「予想以上にみんな頑張っていた」というのは、大体どこに行っても聞かれた言葉です。

しかし、生活が元に戻るにつれて、③のような問題が出てくる場合があるようです。
「ごめんなさい、もうしません」というのは、災害の原因が自分にあると誤って理解し、「もう悪いことは何もしないから、勘弁して!元に戻して!」と伝えたいのだと思われます。
切ないですね。

中には、津波で潰された自宅を何度も何度も見たがる子どもがいました。
このお子さんは、言語理解が難しいお子さんでした。

親御さん曰く、「もしかしたら、我々が日常で地震や津波のことを何度も口にし、耳にすることで、現実として受け入れていくことを、この子は言葉がわからないので、視覚を用いて反復的に経験して納得しようとしているのでは」。

なるほど、それはそうなのかもしれません。
その証拠と言えるかもしれませんが、ある時期から、自宅を見ようとすることはなくなり、津波によって泥に埋まってしまった「こだわりグッズ」にも別れを告げることができたそうです。


④についてですが、情報は各小中学校や地域を巡回する特別支援教育コーディネーターの段階で、留まっていることが推測されました。
この辺りの学校のシステムに関しては、また別の記事でまとめたいと思います。

それと印象的だったのは、特に岩手沿岸部の地域においては、「皆が顔見知り」という雰囲気があるということでした。
このことは、「発達障害」というラベリングが、スティグマに繋がりやすく、従って特別支援教育を受けることが「忌むべきこと」として捉えられるかもしれないということを意味します。


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【2011/05/21 21:11】 | 被災地支援
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