大久保賢一@畿央大学のブログです。特別支援教育、応用行動分析学(ABA)、日々のつぶやき等。
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 以前から興味があった「魔法のプロジェクト」のセミナーにようやく参加することができました。

IMG_1955.jpg 

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事例報告も含めセミナー全体的にとても面白かったのですが(久しぶりに全く居眠りしなかった(^^;))、東京大学の中邑賢龍先生の基調講演が私にとってはとても痛快で印象に残るものでした。

以下、いくつかお話しくださったことを抜粋。
(私の解釈に基づき補完している箇所もあります。正確な書き起こしではありません)

〇教師は「世の中で発達障害は受け入れられない」と考えているので、それを治そうとする。しかし発達障害は治らない
・治らないものを治そうとする結果、特別支援教育では「無駄なこと」をたくさんしているのではないか?
・重要なのは「諦める力」を持つこと

〇我々は配慮のようにみえる「いじめ」、「差別」、「おせっかい」をしている
・どうしてもそれができない子どもを励まし無理に頑張らせる(いじめ)
・障害のため書くことのできない子どものワープロ使用を認めない(差別)
・自分で手動車椅子で移動できる子どもをわざわざ押してあげる(おせっかい)

〇テクノロジーを用いることにより、「できなかったこと」を努力させることなく今すぐできるようにする
・テクノロジーによって直ちに「スタートライン」を揃えることができる

〇なぜ通常学級では「特別扱いはできない」を理由にしてテクノロジーの使用を制限するのか?
・テクノロジーを制限しながら、「インクルーシブ教育の推進」というのはそもそも矛盾している
・テクノロジーなしの「裸」でインクルージョンすると、そのインクルージョンされた子どもは間違いなく依存的になっていく
・障害がある以上、インクルージョンしても他の子どもとの「差」は埋まらない
・だからテクノロジーで武装するしかない

〇「みんなと一緒に学ぶ」ということに必ずしもこだわらなくていい
・集団に入れなくてもその人なりに学べればいい
・仕事がなければ、みんなで仕事を創ればいい(これは特別支援教育の教師の課題でもあるかもしれない)
・「みんな」で結びつかなくても、「自分と合う少人数」で結びつけばいい
・テクノロジーはそのようなことも可能にする


みんなが「何となく感じているけどはっきりとは言わないこと」を、具体的に突きつけていただいたような気がしました。

私的に結構衝撃的だったのはこのスライド。

nakamura.png 

最後の「学校」という項目は、「テクノロジーは『学校そのもの』をも代替できる(かもしれない)」という意味ですね(^^;)
インクルーシブ教育時代に突入するこのタイミングで、もう一度「学校とは何か?」「みんなと一緒に過ごすことの意味は何か?」について考え直さないといけないのだと思いました。

時間が押していたので質問できなかったのですが、もし時間があれば・・・

テクノロジーが進化し、「障害の補完」を越え「能力の増強」にまで至るとき、教育においては
「平等性」を理由に「テクノロジーが進化すればするほど使えなくなってしまうのではないか?」という可能性について聞いてみたかったです。

特に入学試験など、「平等な競争」(これを定義するのがなかなか難しい・・・)が求められる状況で、テクノロジーはどのように位置づけられていくのかという可能性についてお聞きしたかったです。



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【2014/07/27 17:41】 | 教育問題
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遠藤佑一
大久保さん、大変お久しぶりです。

自分が、ここ最近思っていることとして、いくら学校にATを入れていったところで、卒業後に受け入れる社会側の体制が整っていなければ、現場は簡単にATを受け入れられないのではないかな、ということです。将来の可能性に賭けて、有効に使える“かもしれない”スキルを子どもたちの欠かせないものとさせることに不安が捨てられずにいます。当たり前の話ですが、社会を生き抜いて行くために必要な能力は読み書き計算ばかりではないので、確かにATは魅力的で、現場にICTが入ることで子どもたちの理解は飛躍的に伸びる子もいます。ただ、それと同時に、学ぶべき大切なものを見失ってしまわないかなという不安も・・・。まぁ、そうさせないようにするのが私たち現場にいる教員の役割ではあるのですが・・・。
すいません、ちょうど自分も自校のICTプロジェクトに関わっていたので、思ったことをタラタラと書いてしまいました。
新天地での活躍を期待しています!!


大久保賢一
遠藤先生
大久保です。

コメントありがとうございます。
「学ぶべき大切なもの」とは一体何なのか?ということが難しいところなのでしょうね。

ICTの用い方によっては、先生が仰るようにそれを学び損なってしまうケースがあるかもしれないし、一方ではICTがあるから「学ぶべき大切なもの」を学ぶことができるようになるというケースもあるような気がします。

「障害者権利条約や障害者差別解消法の時代」になり、確実に「社会側の体制」の側にも変化することが求められるようになっていると思いますが、確かに学校の先生方の意識としてどうかという点は難しい課題であると思います。

またお会いできる日を楽しみにしております。

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コメント
この記事へのコメント
大久保さん、大変お久しぶりです。

自分が、ここ最近思っていることとして、いくら学校にATを入れていったところで、卒業後に受け入れる社会側の体制が整っていなければ、現場は簡単にATを受け入れられないのではないかな、ということです。将来の可能性に賭けて、有効に使える“かもしれない”スキルを子どもたちの欠かせないものとさせることに不安が捨てられずにいます。当たり前の話ですが、社会を生き抜いて行くために必要な能力は読み書き計算ばかりではないので、確かにATは魅力的で、現場にICTが入ることで子どもたちの理解は飛躍的に伸びる子もいます。ただ、それと同時に、学ぶべき大切なものを見失ってしまわないかなという不安も・・・。まぁ、そうさせないようにするのが私たち現場にいる教員の役割ではあるのですが・・・。
すいません、ちょうど自分も自校のICTプロジェクトに関わっていたので、思ったことをタラタラと書いてしまいました。
新天地での活躍を期待しています!!
2014/07/28(Mon) 18:39 | URL  | 遠藤佑一 #-[ 編集]
遠藤先生
大久保です。

コメントありがとうございます。
「学ぶべき大切なもの」とは一体何なのか?ということが難しいところなのでしょうね。

ICTの用い方によっては、先生が仰るようにそれを学び損なってしまうケースがあるかもしれないし、一方ではICTがあるから「学ぶべき大切なもの」を学ぶことができるようになるというケースもあるような気がします。

「障害者権利条約や障害者差別解消法の時代」になり、確実に「社会側の体制」の側にも変化することが求められるようになっていると思いますが、確かに学校の先生方の意識としてどうかという点は難しい課題であると思います。

またお会いできる日を楽しみにしております。
2014/07/31(Thu) 15:05 | URL  | 大久保賢一 #-[ 編集]
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